音楽は不思議だ
こんにちは。正指揮者の大塚陵太です。
定期演奏会がもうすぐありますね。12月8日。
このブログを見ている方はきっと来ていただけるものと信じています(笑)。
さて、私が指揮者になってからもう2年が過ぎようとしています。
先輩方が年々引退され、いつからか後輩がたくさん入ってきて、
いつの間にかチーフになって、、とてもあっという間な日々でした。
この「あっという間」に演奏した曲を聞いてみれば
― 記憶が鮮明に想起されるという点でとても不思議だなぁと感じるですが ―
その演奏に向けて練習した思い出や、パートリーダーたちと話し合ってより良い演奏を「追い求めた」日々が思い出されます。なつかしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっとだけ定期演奏会とは関係のない話をしたいと思います。
「音楽は心」という言葉を耳にしたことがありますか。
耳にしたことがあってもなくてもGoogleで検索してみてください。
Google検索をして一番上に出てくるそれ(そのCD)が、中学生で初めて音楽と出会った私に忘れられない衝撃を与えました。
(youtubeにもその先生の動画は残ってますね)
僕は衝撃のあまり、その先生の事が書かれたノンフィクション小説を2冊読み、その先生が指揮した演奏のCDを何回も聞きました(中学生のときです)。
今考えてみれば、技術こそないけれども、その時にやっていたことは「音楽そのもの」だったと思うのです。
作曲者が何を伝えたいか、その人の背景や体験を、楽譜や歌詞やその人自身の言葉から読み取る。そして、その読み取れた思いと、自分の経験を少し混ぜて自分なりに解釈して、音に出す。
つまり「音楽は心」について自分なりに言葉を補うとすれば、
- 楽譜や言葉(歌詞)を手がかりとして、何を表現しているのか読み取る。作曲者という「人」と譜面上で「対話」する。
- その「対話」から、自分の心的な経験を織り混ぜて解釈し直し、その表現形―つまり「音」―として相手に届ける。
だと思います。
これらの行為は、極めて人間的ではないでしょうか。常に人と接している。まさに「心」と接する行為でしょう。
しかも、合唱の場合は、先に述べた②の音を出す行為が、かなりの大人数で同時に行われます。一緒に演奏する人が多いので、「息を合わせて」音を発するよう練習します。入りのタイミングや和音がそれです。
したがって、音楽とは何かを私なりに一言で言えば、
「他者とつながれること」
だろうと思います。
見えない他者(作曲者や作詞家≒紙面で「対話」する人)ともつながり、しかも、隣にいる他者(共に演奏する人)ともつながれる、それが音楽の醍醐味であろうということです。
(同時に「排除」を生む可能性がある、ということにも注目したいところですが、暗くなるのでやめておきます)
そんな醍醐味を、指揮者という立場でお届けするのが僕の目標でした。
指揮者になって失敗もたくさんしたし、自分にできるかなと不安になることもありましたが、真っ向勝負で楽譜に音楽に向き合ってきたつもりです。そのなかでたくさん失敗もしました。
失敗・不安・怖さ…それらがありつつも音楽と向き合えたのは、同期・先輩・後輩のおかげだと、支えてくれたみんなが居たからだと思います。
指揮者として最後の実感はありません。最後だからどうこうというのではなくて、とにかく私たちの音楽を披露するのみ!
どのステージも見どころ満載ですよ。本当に。
12月8日、寒梅館でお会いしましょう。
大塚陵太